熊本旅行パート2
2013年 12月 12日
本日はいよいよ熊本城の核心に迫ります。長塀のある竹之丸を通り
二様の石垣に魅せられ徐々に天守閣へと近づいていきますが、
こんなに広く見応えのあるお城とは思ってもみなかったです。
ここで熊本城のあらましを一言。
ここで熊本城のあらましを一言。
現在のお城は加藤清正が7年の歳月をかけて築城し周囲5.3㎞面積98万㎡(東京ドームの28倍)
築城からはなんと400年以上を迎えています。
加藤家改易後は細川忠利が肥後54万石の城主となり以後240年間細川の居城となります。
明治時代には西南戦争の場となり、戦争直前に原因不明の出火で天守閣や本丸御殿などが
焼けてしまったそうです。残念!これだけのお城を
いよいよ、天守閣へ登城。大天守は地上6階、最上階は望楼となっていますが
加藤家改易後は細川忠利が肥後54万石の城主となり以後240年間細川の居城となります。
明治時代には西南戦争の場となり、戦争直前に原因不明の出火で天守閣や本丸御殿などが
焼けてしまったそうです。残念!これだけのお城を
いよいよ、天守閣へ登城。大天守は地上6階、最上階は望楼となっていますが
西南戦争で焼失してしまったのでもちろん復元されています。
外観は白漆喰に黒腰壁の景観ですが残念ながら、中はコンクリート建築です。
いずこからと声をかけてくださり、思い出に一枚。ポーズをとってくれました。
加藤清正公はじめ7~8人の家来役でシフト勤務してるそうです。
加藤清正公はじめ7~8人の家来役でシフト勤務してるそうです。
平左衛門丸にある宇土櫓でした。
大天守に次ぐ規模で小西行長の居城である宇土城を移築したとされています。
地上5階地下室を備え、ここの石垣は熊本城内で最も高さがあります。
櫓は矢を貯蔵した場所、つまり武器庫、物入れです。
大天守に次ぐ規模で小西行長の居城である宇土城を移築したとされています。
地上5階地下室を備え、ここの石垣は熊本城内で最も高さがあります。
櫓は矢を貯蔵した場所、つまり武器庫、物入れです。
城内は暗く、冷たい板張りの廊下や小部屋が延々と続きます。
暗く寒く怖かったのですが最上階で係りのおじさんに説明をうけ
ほっと一息入れました。
加藤神社鳥居脇のお立ち台から望む宇土櫓はカメラ小僧には
たまらない雄姿です。
お城の正規登城ルートの西大手門から写真の頬当門へ
まるで門が頬をあてて城をのぞんだように見える
ところからこの名がついたそうです。
左は復元された本丸御殿の床下通路
闇ご門から続く闇り通路。
大名文化の粋を集めた本丸御殿は
往時の様相をとりもどしました。すべてがゴージャス。
その後、加藤神社にも参拝し、頬当門から再入場。
お城の正規登城ルートの西大手門から写真の頬当門へ
まるで門が頬をあてて城をのぞんだように見える
ところからこの名がついたそうです。
左は復元された本丸御殿の床下通路
闇ご門から続く闇り通路。
大名文化の粋を集めた本丸御殿は
往時の様相をとりもどしました。すべてがゴージャス。
その後、加藤神社にも参拝し、頬当門から再入場。
帰路は曲輪の東側、東竹之丸の重要文化財に指定されている櫓群
(復元されてます)
5期を見つつ不開門からお城をあとにしました。
いやあ、見応えありました。1日では完全制覇できませんでした。
to be continue
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by gaisky1221
| 2013-12-12 22:09
| 旅行
|
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